掲載情報【市原悦子】有名人の逝き方 余命知っていたショーケンと市原悦子さんの最期 〈週刊朝日〉

『週刊朝日』7月5日号掲載の記事が公開されました。

週刊朝日  2019年7月5日号(6月25日発売)

著名人の見事な最期 他界に映る「らしさ」
よく生きて よく逝った
今だから明かす見事な逝き方
市原悦子 姪との最後の会話

情報源: 週刊朝日 2019年7月5日号

市原悦子さん(右)。樹木葬墓地で久保久美さん(左)と■市原悦子 亡き夫に寄り添う樹木葬 なお、なお、なお、なお愛される

女優市原悦子さん(享年82)の闘病は2016年11月、自己免疫性脊髄炎で都内の病院に入院してから始まった。

「病室でおばは動けなくなって、すごく落ち込んでました。薬も合わなくて、メチャクチャしんどそうでした。そのときがどん底でしたね。きょうにも死んじゃうというような雰囲気で、『きょうだい呼んで』って」

16年11月から17年8月まで、総合病院とリハビリ病院を計7回も入退院を繰り返した。市原さんのリハビリを支えたのはめいの久保久美さん(54)と市原さんのきょうだいたち、親しくしていたノンフィクションライターの沢部ひとみさんらだった。

「きょうのおまじないは?」

市原さんは入院中、病室から立ち去ろうとする久保さんにせがんだものだった。

「病室から帰るときは『じゃあね』というつもりで、おばの頬に『ちゅっ』としたり、『ハグ』をしたりしてたんですよ。忘れて何もしないで帰ろうとすると、おばは『おまじないは?』と言ってくるようになりました。おばらしい表現だなと思いました」

17年8月21日から自宅療養に切り替わった。

「歩行器を使うのが上手になって、50歩くらい歩けるようになりました。でも、家の中だけで、外には出ようとしませんでしたね。転んで骨折したら寝たきりになってしまうとか、風邪をひいたらどうしようとか、用心しすぎなくらい用心していました」(久保さん)

自宅で車椅子で過ごした。DVD鑑賞や自著へのサイン、マッサージなど、日課をこなすようにした。

「普通のことができるということが、ものすごい喜びだったようです。市原さんのお話を私が文字に起こして、原稿にして読んであげると至福の顔をしていました」(沢部さん)

昨年11月末、盲腸で入院。いったんは回復したが、1月5日に再入院した。意識がなくなる前日の7日、「ゴダイゴ」のリーダーのミッキー吉野さんらがお見舞いに病室を訪れた。

「『なんだかロレロレなのよ』と言ってろれつがまわらなくなっていましたが、ミッキーさんがここにいてくれるなんて本当にうれしい、と話していました」(久保さん)

半世紀余り連れ添った最愛の夫、塩見哲さんに先立たれたのは5年前の春。

「おばは、人の結婚式とかであいさつするときには『結婚は相性よ』と必ず言っていたくらい。塩見さんとは、よほど相性が良かったということではないかな」(同)

市原さんは久保さんに、

「塩見のお墓の隣に埋めてくれれば、なお、なお、なお、なおうれしい」

と、「なお」を4回繰り返して言った。それが最後の会話となった。1月8日からは呼びかけても、答えなかった。

1月12日午後1時半ごろ、市原さんは心不全で病院で亡くなった。四十九日のころ、夫が先に眠る、千葉県袖ケ浦市のお寺の樹木葬墓地に埋葬された。

「おじの隣に穴を掘って、くっつくようにして納骨されました。お墓の花の真ん中のプレートに2人の名前が書かれています」(同)

「生きる」ことを実感するとは、どういうことなのか。市原さんの闘病生活は物語っている。「まんが日本昔ばなし」(TBS系)でのナレーションや「家政婦は見た!」(テレビ朝日系)でおなじみの仕事ぶりも、愛され続けることだろう。なお、なお、なお、なお。(本誌・上田耕司)

※週刊朝日  2019年7月5日号

情報源: 有名人の逝き方 余命知っていたショーケンと市原悦子さんの最期 〈週刊朝日〉